神戸地方裁判所 平成6年(ワ)2383号 判決 2000年11月20日
甲事件原告
甲野花子(仮名)
甲事件被告
才田久城
乙事件原告
日本火災海上保険株式会社
乙事件被告
甲野花子(仮名)
主文
一 被告は、原告に対し、金三一九七万一〇六四円及びこれに対する平成四年三月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告に対するその余の請求及び乙事件原告の原告に対する請求をいずれも棄却する。
事実及び理由
第一請求
一 甲事件
被告は、原告に対し、金一億一一四九万二七二六円及びこれに対する平成四年三月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 乙事件
原告は、乙事件原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成七年三月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、原告運転の普通(軽四)乗用自動車と被告運転の普通乗用自動車とが衝突した後記交通事故(以下「本件事故」という。)に関し、原告が被告に対し、本件事故により傷害を負い、後記損害を被ったとして、自動車損害賠償保障法三条に基づき、その賠償を求める事案(甲事件)及び被告と車両保険契約を締結していた乙事件原告が、右保険契約に基づいて被告に車両保険金を支払ったことにより、被告の原告に対する損害賠償請求権を取得したとして(商法六六二条)、原告に対して右保険金の内金二〇〇万円について代位請求する事案(乙事件)である。
なお、甲事件の附帯請求は、本件事故の発生した日から支払済みまで、乙事件の附帯請求は、訴状送達の日の翌日から支払済みまで、いずれも民法所定の年五分の割合による遅延損害金支払請求である。
二 争いのない事実等(当事者間に争いがないか、後掲の証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実)
1 交通事故の発生
原、被告間に次の交通事故が発生した。
(一) 発生日時 平成四年三月四日午後七時ころ
(二) 発生場所 神戸市中央区二宮町一丁目四番一五号先交差点(以下「本件交差点」という。)
(三) 事故態様 信号機により交通整理が行われている本件交差点において、北から西へ右折しようとした原告運転の普通(軽四)乗用自動車(神戸五〇そ五八〇六。以下「原告車」という。)と南から北へ直進しようとした被告運転の同人保有の普通乗用自動車(神戸三三ね六六二九。以下「被告車」という。)とが衝突した。
2 被告の責任原因
被告は、被告車の保有者であり、自動車損害賠償保障法三条に基づき、原告が本件事故により被った損害を賠償する義務がある。
3 原告の治療経過
原告は、本件事故後、以下のとおり入通院した(甲二の1ないし18、三の1ないし119、四の1ないし35、六、七、九、一一、一二の1、2、3の1、4、一三の1ないし6、8ないし33、一四の1ないし31、一五の1ないし3、一七の1ないし32、一八の1、2、3の1、4の1、5の1、6、一九の3ないし15、20ないし32、43ないし83、二四の1、2、二七の1、二九、三〇、三五の1ないし6、三六の1、3、5、7、9、11、13、15、17、19、三七の1ないし12、14ないし17、19ないし37、四〇の1ないし3、四二ないし四六、乙六ないし二二、二五の1ないし3、二六の1ないし4、二七ないし二九、三一、証人古谷昌裕、同塩谷雅英及び原告本人(第一、第二回))。
(一) 井上外科病院
平成四年三月四日から同月一六日まで入院(入院日数一三日)
(二) 公文病院
平成四年三月一四日から平成五年一〇月二六日までに一二二日実通院
平成四年四月一六日から同年五月一六日まで入院(入院日数三一日)
平成五年四月一九日から同年五月三一日まで入院(入院日数四三日)
(三) 信原病院
平成五年一〇月二五日から平成九年一〇月一七日までに九一日実通院
平成五年一二月二一日から平成六年二月二三日まで入院(入院日数六五日)
(四) 神戸市立中央市民病院歯科
平成四年七月一二日から平成一一年九月一三日までに一二一日実通院
平成一〇年七月六日から同月二二日まで入院(入院日数一七日)
(五) 神戸市立中央市民病院産婦人科
平成六年七月二五日から平成一一年一〇月二五日までに七九日実通院
平成九年四月二日から同月三日まで入院(入院日数二日)
平成一一年四月二六日から同月二八日まで入院(入院日数三日)
(六) 神戸大学医学部附属病院眼科
平成五年五月二七日から平成一一年一〇月二七日までに二二日実通院
(七) 新長田眼科
平成五年七月二八日から平成七年三月二日までに二二日実通院
(八) 河南矯正歯科クリニック
平成一〇年一一月一〇日以降通院中
(九) 新須磨病院
平成四年九月一四日に通院
平成六年二月二五日から平成八年一〇月二日までに一九八日実通院
三 争点
1 原告の責任原因の有無、過失相殺の要否及びその程度
2 原告の症状及び治療と本件事故との相当因果関係の有無
3 原告の損害額
4 乙事件原告の求償権の存否
四 争点に対する当事者の主張
1 争点1(原告の責任原因の有無、過失相殺の要否及びその程度)について
(一) 原告
原告は、北から西に右折するため、対面信号が青色であることを確認して、本件交差点内に進入し、中心点の付近で一時停止し、対面信号が赤色となって右折可の青色の矢印信号が表示されたことを確認して、右折進行したところ、対面信号が赤色であるのを無視して本件交差点内に南から北に向かって直進してきた被告車が、原告車の左前部に衝突した。
よって、本件事故は、被告の一方的過失により発生したものであるから、原告に責任原因はなく、また、過失相殺をすべきではない。
(二) 被告及び乙事件原告
原告は、本件交差点を右折するに当たって、交差点中央で停止し、対向直進車の通過を待って右折すべき注意義務があるのに、これを怠り、わずか七・五メートルの距離に近づくまで被告車の接近に気づかず、これの通過を待つことなく右折した過失により、本件交差点を南から北に向かって直進中の被告車に、北から右折西進しようとした原告車を衝突させた。
したがって、原告には民法七〇九条に基づき、被告の被った損害を賠償する義務があり、また、原告の損害について相応の過失相殺がされるべきである。
2 争点2(原告の症状及び治療と本件事故との相当因果関係の有無)について
(一) 原告
(1) 原告車は、その左前部に、時速六〇キロメートルの高速で進入してきた被告車に衝突され、三回転以上スピンしてからようやく停止した。原告は、衝突の衝撃で、体を右側ドアに打ち付けられ、ハンドルで胸を強打し、体が左に振られて左足等を強打した。
衝突の衝撃が強かったことは、原告の体にシートベルトの痕が一か月間ほど残り、また、胸にはハンドルの痕が一年間近く残っていたことからも明らかである。
原告は、本件事故により頸部捻挫、両側下腿打撲、顎関節症、視力低下障害、右腕の痛み・腫れ・しびれ・握力低下(右尺骨神経麻痺)及び無排卵症の各傷害を負った。
(2) 顎関節症について
原告は、本件事故により下顎をハンドルで強打し、これにより顎関節症に罹患した。
(3) 尺骨神経麻痺について
原告は、本件事故以前には、右手に何らの異常もなかったにもかかわらず、本件事故後は右肩凝り、右上肢のしびれ、右手握力低下(握力は従前の約六分の一程度の五キログラムになっていた。)、右上肢の運動時痛などの症状が認められる状態となった。
原告は、右遅発性尺骨神経麻痺との診断のもと手術を受け、麻痺状態は日常生活に必要な程度まで回復したが、依然としてピアノの演奏は不可能な状態にある。
信原病院における手術記録(乙二六の3)によれば、原告の尺骨神経は「肘部管の部分で一部細くなっていた」が、これは、右肘の内上顆に何らかの外圧が加わり、尺骨神経が圧迫されて細くなっていたことを意味している。
原告は、本件事故当時、衝突時の強い衝撃により、右肘を原告車右側ドアに強く打ち付け、右肘の内上顆に強い衝撃が加わり、尺骨神経が圧迫されて癒着に近い状態までになったのであるから、本件事故と右尺骨神経麻痺との間には相当因果関係がある。
(4) 無排卵症について
原告は、本件事故後平成四年七月一四日ころまでに体重が急激に増加し、同年一〇月ころからは月経異常、卵巣機能不全及び無排卵症等の兆候が認められるようになった。
急激な肥満状態が視床下部、下垂体の障害によって発生するとの医学的知見からすれば、原告の右症状と本件事故との間に相当因果関係があることは明らかである。
(二) 被告
(1) 原告が、本件事故により頸部捻挫及び両側下腿打撲の各傷害を負った事実は認めるが、その余の傷害については知らない。
(2) 顎関節症について
原告は、本件事故により下顎を強打し、外傷性の顎関節症になったと主張するが、本件事故直後の診察の際、下顎の腫れや打撲が確認された事実はなく、原告が本件事故によって下顎を強打したとの事実は存在しない。
仮に、原告の顎関節症が下顎の強打により発生したのであれば、顎関節に何らかの変化が生じるはずであるが、原告の顎関節内円板には突発的異常はなく、円板内の軟骨が飛び出すという状況もなかった。かえって、原告の顎関節内円板は薄くやや偏位していたというのであるが、これは、原告のピアノ講師という職業によって、顎関節に日々慢性的な力が加えられたことにより円板が薄くすり減り、同じ方向から一定の力が加わったために偏位したとも考えられる。
結局、原告の顎関節症の原因は不明としかいいようがなく、原告の顎関節症と本件事故との間に相当因果関係はない。
(3) 尺骨神経麻痺について
仮に、原告の尺骨神経が本件事故により圧迫されたというのであれば、神経と肘関節との間には癒着が認められ、神経には腫瘍が発生しているはずであるが、信原病院における手術記録(乙二六の3)によれば、尺骨神経には偽神経覇腫や癒着は認められず、単に肘部管の部分で一部細くなっていたにすぎない。
また、原告が本件事故により右肘部に打撲等の傷害を受けたことはないし、本件事故による頸部捻挫によって尺骨神経が麻痺したとも考えられない。
したがって、原告の尺骨神経の症状と本件事故との間・に相当因果関係はない。
(4) 無排卵症について
原告は、本件事故後間もなく無月経になったというのではなく、本件事故から約半年を経過したころから、月経とは無関係な出血が起こるようになり、月経不順になっていったというのであるが、原告の月経に異常が認められるようになったのは、既に本件事故による精神的・肉体的ショックから相当回復したであろう時期であることからすれば、本件事故自体のショックや事故からの回復が思うようにいかないことによるストレスなどが原因となったとも考えられない。
したがって、原告の月経異常と本件事故との間に相当因果関係はない。
3 争点3(原告の損害額)について
(一) 原告
原告は、本件事故により以下の損害を被った。
(1) 治療費 一四〇万三九五五円
<1> 新長田眼科分 一万七三四〇円
<2> 新須磨病院分 六万六八六〇円
<3> 信原病院分 六一万三七四〇円
<4> 神戸大学医学部附属病院分 二万〇五六〇円
<5> 神戸市立中央市民病院分 四二万二九五五円
<6> 河南矯正歯科クリニック分 二六万二五〇〇円
(2) 入院雑費 三六万円
原告は、井上外科病院、公文病院、信原病院及び神戸市立中央市民病院にそれぞれ入院し、右入院合計は一八〇日となるところ、日額入院雑費は二〇〇〇円が相当であるから、入院雑費合計は三六万円となる。
(3) 通院交通費 八八万九〇六〇円
平成四年一〇月以降の通院交通費は以下のとおりである(なお、被告は、平成四年九月までの通院交通費を支払済みである。)
<1> 公文病院分 二万八〇〇〇円
一日当たり四〇〇円の七〇日分
<2> 新長田眼科分 八八〇〇円
一日当たり四〇〇円の二二日分
<3> 新須磨病院分 二三万六六〇〇円
一日当たり八〇〇円の一九九日分及び自家用車で通院したときの駐車料金七万七四〇〇円の合計
<4> 信原病院分 四七万四七二〇円
一日当たり五一六〇円の九二日分
<5> 神戸市立中央市民病院分 一二万九八六〇円
一日当たり八六〇円の一五一日分
<6> 神戸大学医学部附属病院分 二七二〇円
一日当たり六八〇円の四日分
<7> 河南矯正歯科クリニック分 八三六〇円
一日当たり三八〇円の二二日分
(4) 通院雑費 七七万円
原告は、本件事故による傷害の治療のため、七七〇日通院して治療を受けた。
右期間の通院雑費としては一日当たり一〇〇〇円が相当である。
(5) 逸失利益 九四〇一万七一九二円
原告は、昭和六〇年からカワイ音楽教室のピアノ講師として働き、本件事故当時、月三六万二〇〇〇円の収入(必要経費として月額五万円を控除した額)を得ていた。
しかし、原告は本件事故により、右手に力が入らず、しびれ感が強く、無理して使うと右手や首は腫れ、背中には痛みが出るという状態となり、将来にわたって、ピアノ講師に復職することが不可能となった。
よって、原告は、本件事故当時の年齢である二七歳から四〇年間にわたってそのピアノ講師としての労働能力を一〇〇パーセント喪失したから、その逸失利益を中間利息を新ホフマン方式により控除して計算すると、次の計算式のとおり九四〇一万七一九二円となる。
(計算式)
362,000×12×21.643(40年の新ホフマン係数)=94,017,192
(6) 慰謝料 一〇〇〇万円
原告の本件事故による精神的・肉体的苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。
(7) 弁護士費用 四〇〇万円
原告は、被告が任意に損害賠償をしないため、原告訴訟代理人に本訴の提起・追行を委任し、その費用・報酬として四〇〇万円の支払を約したから、右金額を請求する。
(8) 既払額について
原告は、被告から合計二二五万〇六八二円を受領したが、これは本件で請求していない交通費・診療費に充当した。
(二) 被告
(1) 原告の主張は全て争う。
(2) 症状固定及び後遺障害について
原告の頸椎捻挫については、平成五年五月三一日に症状固定の診断がなされたため、被告の加入する自賠責保険に対し、後遺障害事前認定手続をとったところ、自賠法施行令二条別表一四級一〇号に該当するとの認定を受けた。
(3) 既払額について
被告は、原告に対し、次のとおり合計三一三万八五四九円を支払済みであるから、右金額を損益相殺すべきである。
<1> 井上外科病院(診断書料) 一万〇三〇〇円
<2> 公文病院(平成四年三月一四日から平成五年六月三〇日までの治療費及び診断書料) 七七万七九三六円
<3> 新須磨病院(平成四年九月一四日の治療費及び診断書料) 一万四五七〇円
<4> 神戸市立中央市民病院(平成四年七月二一日から平成五年二月三日までの治療費及び診断書料の一部) 一万〇二二〇円
<5> 梅ヶ香薬局(調剤料) 七万四八四一円
<6> 原告への支払分 二二五万〇六八二円
4 争点4(求償権の存否)について
(一) 乙事件原告
(1) 被告は、本件事故により、被告車の修理費として三九八万六一〇〇円の損害を被った。
被告は、原告に対し、右損害についての賠償請求権を有する。
(2) 乙事件原告は、被告車を被保険自動車として、被告との間で車両保険契約を締結していたところ、平成五年四月までに、被告に対して車両保険金三九三万六一〇〇円を支払ったので、右支払の限度で、被告の原告に対する損害賠償請求権を取得した。
(二) 原告
乙事件原告の主張は争う。
第三争点に対する判断
一 争点1(原告の責任原因の有無及び過失相殺の要否及びその程度)について
1 証拠(検甲一ないし六、乙一、二、原告本人(第一回、第二回)、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、前記第二の二争いのない事実等1に加えて、以下の事実が認められる。
(一) 本件交差点は、南北に延びる時速五〇キロメートルに速度規制された中央分離帯のある北行四車線、南行三車線の道路(中央分離帯を含む車道の幅約二三・五メートル。以下「南北道路」という。)と東西に延びる中央分離帯のある東行西行各三車線、右折用各一車線の道路(中央分離帯を含む車道の幅約二四メートル。以下「東西道路」という。)とが交差する信号機により交通整理の行われている十字型交差点である。
原告は南北道路の南行車線を、被告はその北行車線を、それぞれ走行していたが、本件交差点内は、照明のため明るかったものの、原告の左前方及び被告の前方の見通しは、後記のとおり必ずしもよくなかった。
本件交差点の南北道路の南行車線は対面信号が黄色から赤色に変わる際、右折可を意味する青色矢印が表示されるようになっている。
本件交差点は市街地にあって、交通量も頻繁である。
本件交差点南側にはJR及び阪急の電車線路の高架があり、南北道路北行車線は高架下から本件交差点に向けてなだらかな上り坂となっている。
(二) 原告は、南北道路を北から南に向けて走行してきたが、本件交差点で西に右折しようとして、対面信号の青色に従い本件交差点内に進入した上、本件交差点中央付近で一旦停止した(原告車は、右折待機車の先頭に位置していた。)後、対面信号が黄色に変わったので、左側及び前方の安全を確認し、対面信号が黄色から右折可の青色矢印信号に変わったところで右折を開始したところ、原告車左前部と南北道路北行第二車線あるいは第三車線から原告車を回避するために北西方向へ旋回した被告車右前部とが衝突した(衝突地点は、南北道路北行第二車線あるいは第三車線の延長付近である。)。なお、原告は、衝突直前まで被告車に気が付かなかった。
原告車は、被告車と衝突した後、何回か回転しながら滑走し、本件交差点北側横断歩道手前付近で停止した。
(三) 被告は、南北道路北行第二車線あるいは第三車線を、前照灯を灯火して時速約六〇キロメートルで南から北に向けて走行中、本件交差点を直進しようとして、その進入時には、既に対面信号が黄色から赤色に変わっていたにもかかわらず本件交差点内に進入したところ、本件交差点を西に向けて右折を始めた原告車を発見し、衝突を避けるためハンドルを左に切りながらブレーキをかけたが間に合わず、原告車と衝突した。被告車は、原告車と衝突した後、本件交差点西側の中央分離帯コンクリート壁に北西方向に向いて衝突して停止した。
2(一) 右認定に反し、被告は、その本人尋問において、本件交差点進入時に被告車が走行していたのは南北道路北行第一車線であった旨供述し、実況見分調書(乙二)にもその旨記載されている。
しかしながら、実況見分調書(乙一)に記載されたコンクリート壁に衝突して停止した被告車の向き及び「にじり痕」の付着状況(その具体的な形状は明らかではないが、南東から北西に向けて、すなわち、コンクリート壁に衝突して停止した時点の被告車の向きとほぼ平行に約一・八メートルに渡って形成されている。このような「にじり痕」の付着状況からすれば、被告車は北西方向に進行していたものであって、被告車がコンクリート壁に衝突した時点においては、被告車に北行車線を直進する方向の力は大きく働いていなかったと考えられ、被告車が原告車と衝突して直ちにコンクリート壁に衝突したとは考え難い。)並びに原告車は、右折進行を開始した直後の普通軽四乗用自動車であったのに対し、被告車は時速約六〇キロメートルで走行中の普通乗用自動車(日産スカイライン・ハードトップ)であったこと(右両車の対比に原告車が被告車と衝突後、その衝撃で本件交差点北側横断歩道付近まで滑走していることを総合すれば、直進していた被告車が原告車と衝突するやその衝撃で左に大きく振られることはあり得ない。)などからして、被告車は南北道路北行第一車線を走行していたとの被告の供述及び実況見分調書(実況見分調書では、被告車と原告車が衝突した地点と被告車がコンクリート壁に衝突した地点とは約五メートルの距離しかなく、被告車が原告車と衝突後急角度で曲がったことになっている。)は、前掲各証拠並びに自動車事故工学の常識に照らし、容易に信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
(二) さらに、右認定に反し、被告は、その本人尋問において、被告車が本件交差点に進入した直後に対面信号を確認したところ、青色であった旨供述する。
しかしながら、被告は、その本人尋問において、本件交差点進入直後に対面信号が青色であることを確認したとの点については明確な供述をするものの、走行中の自車の前に他の車両が走行していたか否かなどの走行状況については記憶がないとするなど、事故態様についての供述は全体として曖昧であるといわざるを得ず、また、実況見分調書(乙二)は主に被告の指示説明に基づいて作成されたものであるが、被告の説明が自動車事故工学の常識に反するものであることは前記認定のとおりであり、右実況見分調書は信用できないが、右実況見分調書においてすら、被告は、本件交差点の約二一メートル手前の地点で対面信号が黄色に変わった旨指示説明していること(なお、被告が右実況見分の際に青色と指示説明したにもかかわらず、実況見分に当たった警察官において、被告の指示説明を無視してこれと異なる内容を調書に記載したことを伺わせる事情は見い出し難く、かえって、被告がその本人尋問において、実況見分の際に警察官から被告の指示説明の内容を否定されたとか反論されたなどの記憶はないと供述していることからして、被告は、右実況見分時、対面信号が本件交差点の約二一メートル手前で黄色に変わった旨の指示説明をしていたものと認められる。)に照らして、被告の対面信号青色で本件交差点内に進入したとの前記供述は信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
ところで、実況見分調書(乙二)には、右折のために本件交差点内で一旦停止した後、対面信号が黄色に変わったのを見て発進した旨の原告の指示説明の記載があるが、右実況見分調書の記載は前記のとおり信用できない上、右実況見分の際、被告は具体的な地点を示しながら指示説明することができたのに対し、原告は、井上外科病院に入院中で、立っているのがやっとという状況であったから、一か所に佇立したまま指示説明することしかできなかったこと、右のような状況であったにもかかわらず、原告が実況見分調書(乙二)作成後にこれの確認を求められたこともないこと(原告本人(第一回))、右実況見分の実施状況及びその記載内容(被告車が南北道路北行第一車線を走行していたと記載されていることなど)からして、右調書は主として被告の指示説明に沿って作成されたと考えられること及び本件事故の現場は市街地の交通量頻繁な交差点内であるところ、本件事故が平日の午後七時ころであったことからすれば、右折待機車が対面信号黄色になるや直ちに発進したとは考え難いことなどからして、実況見分調書(乙二)の記載から、直ちに、右折待機していた原告車が発進したときの対面信号が黄色であったとの事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
3 前記1に認定した事実によれば、本件事故は、対面信号が赤色であったにもかかわらず本件交差点に進入した上、本件交差点中央付近で右折待機している車両の動静の確認を怠った被告の過失により発生したものと認められる。
他方、原告が、本件事故の直前まで被告車を認識していなかったことは前記認定のとおりであるが、本件交差点の状況、すなわち、南北道路北行車線は右高架下から上り坂となっているため、本件交差点中央付近からは、南側横断歩道横の停止線より南側車両二台ないし三台分の距離までしか見通すことができない状況であったこと(乙二)及び被告車が時速約六〇キロメートルで本件交差点内に進入してきたことからして、原告が本件事故を避け得る地点で被告車を認めることは非常に困難であったと考えられる。そして、原告は対面信号が黄色に変わった際に左側の安全確認をした上、右折可の青色矢印信号に従って右折を始めたのであるから、原告に本件事故の発生につき過失があったと認めることはできない。
二 争点2(原告の症状及び治療と本件事故との相当因果関係の有無)について
1 前記第二の二争いのない事実等に証拠(甲六ないし一一、二三、二四の1、2、二五、二六の1、2、二九、三〇、三三の1、2、四一、四三ないし四六、四八ないし五三、乙六ないし二三、二五の1ないし3、二六の1ないし4、二七ないし三七、証人古谷昌裕、同塩谷雅英、原告本人(第一回、第二回))及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、平成四年三月四日午後七時ころ本件事故に遭い、本件事故の現場から井上外科病院に搬送され、同日以降同月一六日まで同病院に入院して治療を受けた。原告には事故直後から、頭痛、頸部及び項部から背中にかけての疼痛の持続、右手のしびれなどの症状が見られたところ、同病院では、原告を外傷性頸部症候群、前胸部・両側下腿打撲傷と診断し、安静加療(主として湿布薬の処方)の処置をした。
なお、エックス線写真上、骨に異常は認められず、また、吉田アーデント病院で胸部、両下腿、頭部CT撮影を施行するも、異常は認められなかった。
(二) 公文病院における治療経過について
原告は、平成四年三月一四日に公文病院で診察を受けた後、井上外科病院から転院し、同日以降平成五年一〇月二六日まで、頸部捻挫、頭部打撲、胸部、腰部、左膝打撲症の診断のもと、入・通院にて治療を受けた。公文病院でも、レントゲン、MRI、脳CTなどの諸検査上は明らかな異常は認められなかったが、他覚的にも著明な頸部から両肩甲部にかけての筋の凝りが認められ、自覚的に頸部痛、頭痛、右手のしびれの愁訴が継続していた。
なお、胸部、腰部、左膝打撲症については平成四年四月一四日に治癒と診断され、頸部捻挫についても、後記のとおり平成五年五月三一日症状固定と診断された。
公文病院における治療経過は概ね以下のとおりである。
(1) 平成四年三月一四日から同年五月三一日まで
原告が右手のしびれ、頸部、後頭部痛などを訴えていたため、持続的頸椎牽引を計画し、四月一六日から五月一六日まで入院にて右治療を行い、退院後は通院にて保存的治療を継続した。
初診時の原告の自覚症状は、頸部痛、腰痛、呼吸時の胸痛、右手第三ないし第五指のしびれであり、両手の握力は右一三キログラム、左一四キログラムであったが、他覚的には明らかな知覚障害は認められず、頭部・胸部エックス線検査上いずれも異常はなかった。
その後も、背部痛や腰部痛、頭痛など全身痛を訴え、著明な肩凝りの症状も出てきた。四月一〇日には、二、三日で改善したものの、右上肢の腫脹が出現した。四月中旬ころの握力は右二五キログラム、左二六キログラムであったが、右手には第五指に沿って知覚異常が見られた。
入院時の原告の症状は、右第五指のしびれ、右上肢痛、右頸部腫脹で、第八頸神経(C8)の知覚鈍麻が見られた。
(2) 平成四年六月一日から平成五年四月一八日まで
原告が、頭痛、頸部痛、腰部痛、上肢放散痛、右手のしびれ、頸部筋硬直等の症状を訴えたため、投薬・注射による保存的治療とともに物理療法を行って経過観察していたが、依然として頸部痛、右上肢のしびれが持続し、治療によっても愁訴の軽減が見られない状態であった。
なお、原告は、平成四年六月三〇日以降、左顎関節痛を度々訴えている。
平成五年二月二日の握力は右一七・五キログラム、左二七・五キログラムであった。
(3) 平成五年四月一九日から同年五月三一日まで
原告には依然として、両側肩凝り、頸部痛、右上肢のしびれなどの症状が持続していたため、入院の上、持続的頸椎牽引、星状神経節ブロック治療を施行した。
しかし、ブロック治療を行っても愁訴の軽減が見られないため、退院日(平成五年五月三一日)をもって、傷病名を頸椎捻挫として症状固定の診断がなされた。
症状固定時の自覚症状は、頸痛、両肩から後頭部にかけての筋硬直、右上肢全体のしびれ感であり、頸部から両肩にかけての著明な筋硬直を他覚的にも認めたが、ミエログラフィー、単純エックス線、MRI等諸検査では異常を指摘できないという状態であった。
(4) 平成五年六月一日から同年一〇月二六日まで
症状固定の診断はなされたものの、原告は依然として、肩凝り、頸部痛、右手のしびれ感等の症状を訴えていたため、神経節ブロック治療や保存的治療が行われたが、愁訴の軽減は見られなかった。
(三) 原告は、平成五年八月二三日、自動車保険料率算定会神戸調査事務所より、平成五年五月三一日の後遺障害症状固定の診断(乙二二)に基づき、後遺障害として、自賠法施行令二条別表一四級一〇号の「局部に神経症状を残すもの」に該当するとの事前認定を受けた(以下「一四級一〇号の認定」という。)。
(四) 信原病院における治療経過について
(1) 原告は、右肩凝り、頸部痛、右肘及び右手のしびれ感等を主訴として、平成五年一〇月二五日に信原病院で診察を受けた。信原病院では、エックス線写真上第四、第五頸椎に不安定性が認められるとして頸椎不安定症と、また、右肘や右手のしびれについては右外傷性尺骨神経麻痺(遅発性)と診断された(なお、そのほかに、原告の症状について両肩結合織炎、右胸郭出口症候群との診断がされている。)。
信原病院では、頸椎不安定症に対しては保存的治療が行われ、尺骨神経麻痺に対しては、右手のしびれ、特に尺骨神経領域に知覚鈍麻があり、フロマン徴候陽性、握力低下(手術前の握力は右一一キログラム、左二一キログラム)、右尺骨神経のチネル徴候陽性、ワシ手、小指球筋の萎縮等が認められたため、右肘関節部での尺骨神経剥離・移行術(King法)を施行した(平成五年一二月二一日から平成六年二月二三日まで入院し、一二月二二日に手術を受けた。)。
右手術の術式及び手術時の所見は「<1>内上顆の直上を通る約六センチメートルの皮膚切開をおいて尺骨神経を展開。尺骨神経に偽神経鞘腫が認められず、癒着もなかったが、肘部管の部分で一部細くなっていた、<2>内上顆から筋層を骨膜下に剥離し、内上顆を露出。約五ミリメートルの厚さで内上顆を切除、<3>筋層を元の位置に縫着。順層縫合。包帯。肘九〇度屈曲中間位にてギプス固定」というものであった。
手術後は、原告は信原病院で理学療法及び保存療法を受けたほか、同病院から紹介された新須磨病院に通院し(平成六年二月二五日から平成八年一〇月二日まで)、頻繁にリハビリテーションを行った。手術後も原告の右手のしびれ感は依然として持続し、また、握力についても手術前と比べて明らかな改善が見られない状態が続いていたが、平成九年ころには原告の右手のしびれ感は次第に改善され、握力も日常生活上は問題がない程度にまで回復した(原告は、信原病院退院後ころから、自動車の運転も始めている。)。しかし、ピアノを弾くと右腕痛が亢進するなど、ピアノの演奏は困難な状態が続いている。
なお、信原病院の医師は、原告が本件事故以前には全く無症状であったにもかかわらず、事故以後に症状が出現したことから、原告の右尺骨神経麻痺と本件事故とは因果関係があるとし、受傷機転については、頸部を痛めることにより二次的に発症した症状であると診断した。
(2) 尺骨神経が肘関節部を走行する際に、なんらかの原因により障害を受け、尺骨神経麻痺を呈する一連の疾患を肘部管症候群という。症状としては、尺骨神経麻痺による知覚運動障害と疼痛である。尺骨神経支配領域の手尺側及び環・小指にしびれ感や異常知覚を訴える。また肘から前腕尺側にかけてだるさや疼痛を訴えることもある。この知覚症状はしだいに増強し、運動神経麻痺症状を訴えるようになる。手背部尺側にも知覚障害を認める。知覚異常が出現して数か月後には運動障害を呈するようになり、手指の脱力感が著明で、巧緻性が欠如し、握力も低下するようになる。尺骨神経支配筋の麻痺症状が出現し、環指及び小指ではいわゆるわし爪指変形を呈するようになる。
尺骨神経障害における知覚障害の領域は、手掌面では、薬指の中央を通る縦の線の尺側で、手背面では手の中央より小指側半分である(ただし、中指の中節、末節並びに薬指の中節、末節の母指寄りの半分はその領域ではない。)。
尺骨神経麻痺の病因としては、外傷のほかに、手首や肘頭の溝における尺骨神経の圧迫、あるいは摩擦性神経炎などが挙げられる。
尺骨神経麻痺に対しては保存的治療はほとんどの症例で無効であり、診断がつけば、できるだけ早期に尺骨神経を除圧する必要がある。手術法としては、神経剥離術、上腕骨内側上顆切除術(King法)、尺骨神経前方移動術がある。手術後の回復には一定期間を要する(しびれ感の消失には二ないし三年かかる場合が多い。)。
(五) 神戸市立中央市民病院歯科における治療経過について
(1) 原告には、本件事故直後から左側顎関節部の開口時痛及び雑音が生じるようになり、全身打撲痛が軽減した平成四年五月ころから、それらが特に苦痛となり、同年六月ころ公文病院医師にその旨を訴えたところ(前記(二)(2)、口腔外科の受診を勧められ、同年七月二一日、神戸市立中央市民病院歯科を受診した。
初診時の原告の開口量は三七ミリメートルで、左顎関節雑音がわずかにあるという状態であり、エックス線写真上、骨折は認められなかった。同病院では、原告を外傷性顎関節症と診断し、右初診日以降、バイトプレート(咬み合わせを変えるプレート)の使用、関節腔内注射などの保存的治療を行っていたが、経過は良好で、徐々に症状の改善が見られた(なお、同病院平木医師は平成五年二月三日時点では、原告の顎関節症は治癒見込みと考えていた。平成五年二月当時の原告の開口量は約四〇ミリメートルでほぼ正常な状態であった。)。
その後、平成五年六月三〇日に右顎関節痛の症状が生じ、徒手にて整復措置を施した。MRI検査上、円板(関節窩と関節突起の間に存在する軟骨の円板)の位置はほぼ正常で、マッサージ、投薬等の保存的治療を継続し、平成七年一二月四日に顎関節症について症状固定の診断がなされた(平成七年一一月二七日の開口量は四〇ミリメートルである。)。
原告は、平成八年七月三一日に、再び顎関節の痛みを訴えて受診し、その後は月に一回程度の受診を継続していたところ、平成九年一一月二八日に追突事故(以下「第二事故」という。)に遭い、下顎を強打した。これにより、改善が見られていた顎関節症の状態が悪化した(それまで月一回程度の通院であったのが、平成九年一二月には八回、平成一〇年一月には九回などと第二事故以降著明に増加している。)。
平成一〇年四月ころには開口障害(二六ミリメートル)が出現し、同年五月のMRI検査上では、関節円板の前方偏位は見られなかったが関節の空隙の減少が見られたので、平成一〇年七月六日入院し(開口量二一ミリメートル)、七月七日には手術(下顎骨切術、顎間固定)が施行された。七月一八日からは、顎間固定解除後の開口訓練を開始し、同月二一日には開口量三四ミリメートルにまで回復した。七月二二日の退院後は通院にて治療を継続した。
右手術により、原告の開口量は約四〇ミリメートル(女性の通常の開口量程度)にまで回復し、開閉口時の疼痛も減少し、現在は関節雑音が少し残存している状態にまで改善した。
なお、顎間固定によって、歯の咬み合わせが変わることがあり、安定した咬合を得る必要から、神戸市立中央市民病院古谷医師の指示で、原告は、矯正治療のため平成一〇年一一月一〇日から河南矯正歯科クリニツクに通院し始めた。
(2) 顎関節症の発症原因については種々のことがいわれるが、顎関節や周囲の筋肉の急性あるいは慢性の外傷(外部からの力によって顎関節部に圧力が加わること)がきっかけとなって発症することがある。
発症した顎関節症は様々な要素がからみ合って症状が進行したり、持続するのが一般である。また、患者自身に心の問題があると、症状が強く出る傾向があり、この場合、顎関節や筋肉にはそれほど大きな障害は見られないのに、なかなか改善されないことが少なくない。
顎関節内部の異常で最も頻度が高いのが顎関節内にある関節円板の位置のずれや損傷である。円板がずれていると顎関節症の三大症状といわれる関節雑音、関節機能障害(開口障害・ある日突然開かなくなる場合もあるが、多くは徐々に開けにくくなり、初期には患者自身も気づかないこともある。)、関節部の痛みと違和感が生じる。
顎関節症には、顎関節内部の異常やその周囲組織の異常が見られないにもかかわらず、痛みを訴えるケースがあり、心理的な要因が大きい場合もある。
(六) 神戸市立中央市民病院産婦人科における治療経過について
(1) 本件事故以前には原告の月経は順調であったが、本件事故後、腹部に痛みがあり、徐々に月経の間隔が開くようになり、平成六年夏ころには月経が発来しなくなったことから、原告は、平成六年七月二五日に神戸市立中央市民病院産婦人科の診察を受けた。
同病院塩谷医師は、平成七年七月から原告の治療を担当したが、当時、原告には排卵が起こっていない状態であり、無排卵症(第一度無月経症。卵胞ホルモンの分泌は起こっているが、排卵が起こっていない状態。黄体ホルモンの投与により月経様の出血が見られたため第一度無月経症と診断。)と診断し、漢方薬、黄体ホルモン、ピルなどの投薬による治療を行った。
その後、平成八年一〇月ころには、血液検査で原告に排卵が確認されたが、排卵後月経の発来が見込まれる時期にも月経が発来せず、強い下腹部痛を訴えていたことから、月経困難症、月経不順、無排卵症、子宮頸管狭窄症と診断した。塩谷医師は、子宮頸管狭窄症の診断のもと、平成九年四月二日から同月三日まで原告を入院させた上、子宮頸管拡張術を実施したが、その後も原告に月経の発来は見られなかった。このため、塩谷医師は、子宮頸管狭窄症の診断は誤りであったとして、子宮そのものに月経を起こす力がない状態である子宮性無月経、卵巣機能不全との診断をした。
原告には、現在も定期的・継続的な排卵は見られず、また、平成九年ころ以降月経の発来も見られない状態である。
なお、原告は、平成一一年四月二六日から同月二八日まで入院の上、子宮の内膜に異常がないか否かの検査を受けたが、子宮性無月経の原因として指摘されている結核や機械的損傷は見られず、特に異常は認められなかった。
(2) 無排卵症の原因としては、視床下部の機能異常、器質的異常、卵巣の機能低下などが考えられる。このうち、脳の視床下部の機能異常が最も多い。
原告の場合、血液学的には脳下垂体ホルモンの分泌が認められること、卵巣からは卵胞ホルモンの分泌も認められることから、無排卵、無月経の原因は視床下部の機能異常と考えられる。
脳の視床下部には食欲中枢もあり、視床下部の異常は、食欲中枢にも悪影響を与える。無排卵症が男性ホルモンの分泌の異常亢進を伴っていることもあり、体重の異常増加を来すことがある。
脳の視床下部の機能異常の発生機序については不明な部分が多いが、精神的・肉体的ストレスが原因となることが知られている。外的な衝撃によって、視床下部の機能異常が起こることもあり得るが、原告の脳の視床下部に出血など異常は認められていない。
塩谷医師は、原告の問診結果に基づき、原告の無排卵症は本件事故による精神的・肉体的なショックに起因するものと考えられるとしている。すなわち、原告の本件事故直前の体重(五三キログラム)が、事故後著明に増加し、平成四年七月一四日当時には肥満状態になっていたことから、卵巣機能不全等の症状が体重の急激な増加の結果である可能性が考えられるとともに、事故による視床下部、下垂体の障害が体重の増加及び卵巣機能不全の原因である可能性も考えられるところ、原告は体重が増加し始めたころに全身の浮腫も自覚しており、皮膚線条も見られたことなどから、体重増加の原因が視床下部にあった可能性が指摘でき、原告は本件事故直後に卵巣機能不全、無排卵症に至ったわけではないが、本件事故と急激な体重増加が始まった時期(平成四年四月一六日の公文病院入院時には体重は六九キログラムにまで増加している。)が一致しており、本件事故と卵巣機能不全、無排卵症との間には因果関係が十分に推定されると判断している。しかしながら、子宮性無月経症については、その原因は明らかではない。
(七) 視力低下について
平成四年四月一六日の公文病院入院時の原告の視力は右〇・九、左一・二であり、平成五年四月一九日の同病院入院時の視力は右〇・九、左一・〇であった。原告は、公文病院受診中に、飛蚊症様の症状を訴えたため、平成五年五月ころ公文病院から紹介された新長田眼科を受診した。同病院での診察では、視力は右眼〇・七、左眼〇・六と少し悪いものの眼底等に異常は認めなかったが、視野検査で両耳側の軽度の沈下を認めたため、神戸大学医学部附属病院に精査を依頼したところ、視力右眼〇・七、左〇・六と良好で、視野もほぼ正常であり、眼科的には著変がないという結果であった。
その後も、原告は新長田眼科、神戸大学医学部附属病院眼科に通院を続けており、神戸大学医学部附属病院眼科においては、平成七年一一月ころ、両眼球に形態的な異常は認められないものの、年齢の割に軽度ではあるが両調節力低下があると診断されている。しかし、右症状と本件事故との因果関係については不明であるとされている。
(八) 原告は、右の他、種々の症状を訴え、神戸市立中央市民病院の内科、脳外科、耳鼻咽喉科などを受診しているが、検査所見上は異常は認められていない。
(九) なお、原告は、第二事故の際、自車後方から追突され前車に玉突き衝突したが、右事故の結果、頸椎捻挫、右肩鎖関節打撲、左膝打撲、左足関節打撲、右上肢不全麻痺、腰椎捻挫の各傷害を負った。
2 右認定事実に基づき、原告の症状及び治療と本件事故との相当因果関係の有無について検討する。
(一) 原告が、本件事故により頸部捻挫、両側下頸打撲の各傷害を負ったことは当事者間に争いはなく、前記認定事実1(一)、(二)によれば、他に頭部打撲、胸部、腰部打撲症(なお、左膝打撲症については両側下頸打撲に含まれると考えられる。)の各傷害を負ったことが認められる。
(二) 頸椎不安定症及び右外傷性尺骨神経麻痺(信原病院における治療)について
(1) 前記1(一)ないし(四)のとおり、原告は本件事故により頸部捻挫の傷害を負い、右について、平成五年五月三一日に公文病院医師により症状固定の診断がなされたが、右時点で他覚所見として頚部から両肩にかけての著明な筋硬直が認められたこと、原告は症状固定後も肩凝りを訴えていたこと及び同年一〇月下旬に信原病院を受診したところ、同病院では、エックス線写真上、原告の第四、第五頸椎に不安定性が認められ、これが両肩の筋硬直の原因となっていると診断して、以降右症状に対して保存的療法を施したことからすれば、右信原病院における頸部に対する治療も本件事故と相当因果関係を有するものと認めるべきである。
(2) 前記1(一)ないし(四)のとおり、原告は本件事故直後から継続して右手のしびれ(第三ないし第五指のしびれ)を訴えていたこと、公文病院では、エツクス線、MRI等諸検査によるも異常を指摘できないことから、これに対して投薬・注射による保存的療法及び物理療法を行っていたが、愁訴の軽減が見られないことから平成五年五月三一日に原告の右症状を含め症状固定の診断をしたが、その後も同年一〇月下旬ころまで保存的治療を継続していたこと、同年一〇月下旬から原告は信原病院を受診したところ、同病院では原告の右手の症状について、前記1(四)(1)の所見から尺骨神経麻痺との診断を下し、これに対して尺骨神経剥離・移行術(King法)を施行したこと及び術後は、リハビリテーション等を経て、原告の右手の症状が改善されたことからすれば、原告は本件事故により右尺骨神経麻痺の傷害を負ったものと認められ、尺骨神経麻痺に対する信原病院における治療も本件事故と相当因果関係を有する。
この点、被告は、原告が本件事故により右肘部に打撲等の傷害を受けたことはないこと及び手術記録(乙二六の3)によれば、原告には尺骨神経の偽神経覇腫や癒着が認められなかったことから、原告の症状(尺骨神経麻痺)と本件事故との間には相当因果関係はないと主張する。
確かに、原告が本件事故後受診した病院では、右肘部に明らかな外傷は認められていないが、原告は本件事故直後から右手のしびれ感を訴えており、前記一1の本件事故の態様(被告は時速約六〇キロメートルで進行中、本件交差点内に進入後初めて原告車を発見してブレーキを掛けたが、ブレーキが十分に効く前に原告車と衝突したこと、衝突後原告車は回転しながら滑走してようやく停止するに至ったこと)からすると、原告が右肘部を車内でドア等に打ち付けるなどしていたとしても何ら不思議はないことからして、右肘部に明らかな外傷がないこと、更には、右肘部に明らかな癒着等が認められなかったことから、直ちに、原告の尺骨神経麻痺と本件事故との相当因果関係がないとすることはできない。
(三) 顎関節症について
前記1(五)のとおり、原告には本件事故直後から左側顎関節部の開口時痛及び雑音が生じるようになり、神戸市立中央市民病院歯科を受診したところ顎関節症と診断されたこと、顎関節症は外部から顎関節に圧力が加わることによって発症することがあること、前記のとおり、本件事故時の衝撃は相当大きなものであったと考えられることからして、原告がハンドル等に顎を打ち付けるなどしたとしても何ら不思議はないことなどからすれば、原告は本件事故により顎関節症の傷害を負ったものと考えられる。
この点、被告は、本件事故直後の診察の際に原告には下顎の腫れや打撲が確認されていないこと及び原告の関節円板には突発的な異常や位置異常が認められていないことから、原告の顎関節症と本件事故との間には相当因果関係は認められないと主張する。
確かに、本件事故後の診察において、原告の下顎には明らかな外傷は確認されていないが、右のとおり、本件事故態様からして、本件事故時に原告の顎関節部に圧力が加わった可能性も十分考えられることからすれば、下顎について、腫れや打撲等の明らかな外傷が認められなかったこと、更には、原告の関節円板の位置に特に異常が見られなかったことから、直ちに、原告の顎関節症と本件事故との相当因果関係がないとすることはできない。
(四) 月経異常及び無排卵症について
前記認定事実1(六)のとおり、原告は、本件事故後、それまで順調であった月経に異常を来し、平成七年ころには無排卵症の状態となったこと、原告の場合、無排卵及び無月経の原因は視床下部の機能異常にあると考えられること、視床下部の機能異常の発生機序については精神的・肉体的ストレスが原因と考えられること及び視床下部に異常を来すと著明な体重増加が認められることがあるところ、原告の体重は本件事故直後から著明に増加していることなどからして、原告の月経異常及び無排卵症の発症には、本件事故が影響を及ぼしたものと推認される。
(五) 視力低下について
前記1(七)のとおり、原告は本件事故後平成五年五月ころ、飛蚊症様の症状を訴えて眼科を受診しているが、視力は少々悪いものの特に異常は認められなかったこと、原告は平成七年一一月ころには両調節力低下と診断されているが、両眼球に形態的な異常は認められず、また、本件事故との因果関係については不明とされていることからすれば、原告の視力低下・両調節力低下が本件事故により生じたものとまでは推認されない(なお、神戸大学医学部附属病院眼科医師作成の平成一一年一〇月二六日付証明書(甲四三)には、原告の両調節障害が本件事故による受傷のためと思われる旨記載されているが、その根拠が不明であり、右証明書のみで、原告の両調節障害と本件事故との因果関係を認めるのは困難である。)。
3 症状固定時期等について
(一) 頸部捻挫、頸椎不安定症及び右尺骨神経麻痺について
原告は、本件事故により、頸部捻挫、両側下腿打撲、頭部打撲、胸部、腰部打撲症、頸椎不安定症、右尺骨神経麻痺、顎関節症、月経異常(月経困難症・月経不順)、無排卵症の各傷害を負ったのであるが、前記二1(四)(2)のとおり、尺骨神経麻痺については、術後の回復に一定期間を要するとされ、しびれ感の喪失には二ないし三年かかることも多いとされていることからすれば、頸部捻挫、頸椎不安定症及び右尺骨神経麻痺については、遅くとも(証拠上明らかな、信原病院への最終通院日である平成九年一〇月一七日より後の)平成九年一〇月三一日には症状固定したものと考えられる。
(二) 顎関節症について
(1) 顎関節症については、前記1(五)のとおり、平成七年一二月四日に症状固定の診断がされたが、右診断書には「症状悪化する場合通院加療が必要と思われる」と記載されている(乙二七)ところ、原告は、平成八年七月以降、顎関節の痛みを再び訴えて診察を受けていることからして、平成七年一二月四日に症状が固定したと見るのは相当ではない。そして、平成九年一一月に第二事故に遭った後原告の通院頻度は著明に増加していることなどからすれば、第二事故が原因となって原告の顎関節症が相当に悪化したものと考えられるが、原告が顎関節の痛みを訴えて通院を再開した後であることからして、第二事故以降の原告の症状と本件事故との因果関係がないとするのは相当でない。結局、原告の顎関節症は、平成一〇年七月の手術及びその後の通院治療を経て、開口量が約四〇ミリメートルまで回復し、開閉口時の疼痛の減少が見られたから、遅くとも(証拠上明らかな、神戸市立中央市民病院歯科への最終通院日である平成一一年九月一三日より後の)平成一一年九月三〇日には症状固定したものと考えられる。
(2) ところで、前記認定のとおり、原告は、平成九年一一月の第二事故の際下顎を強打しており、第二事故以前は月に一回程度の通院であったのが、第二事故以降は通院頻度が著明に増加していることなどからして、平成九年一一月二八日以降の原告の顎関節症の症状の悪化の主たる原因は第二事故にあったと考えられるから、右以降の神戸市立中央市民病院歯科における治療と本件事故との相当因果関係は三割と認めるのが相当である。
なお、前記認定のとおり、原告は、手術を担当した古谷医師の勧めで、平成一〇年一一月から河南矯正歯科クリニックに通院して矯正治療を受けているが、矯正治療の目的が手術後の顎間固定後の咬合の改善等にあること、右のとおり、原告の顎関節症の症状が手術を要するほどに悪化した原因は主として第二事故にあることからして、河南矯正歯科クリニツクにおける治療と本件事故との間には相当因果関係はないというべきである。
(三) 月経異常及び無排卵症について
月経異常及び無排卵症については、前記1の認定事実を総合すれば、遅くとも(証拠上明らかな、神戸市立中央市民病院産婦人科への最終通院日である平成一一年一〇月二五日より後の)平成一一年一〇月三一日には症状固定したものと考えられる。
三 争点3(原告の損害額)について
1 治療費等 二〇〇万八九二八円
(一) 井上外科病院分
甲二七の3、乙二四の8及び弁論の全趣旨によれば、原告は、井上外科病院に文書料として一万五四五〇円を負担したことが認められる。
(二) 公文病院分
甲一五の1ないし3、甲二七の1、2、乙二四の4、7、9、12、15、16、18、20、21、23ないし25及び弁論の全趣旨によれば、原告は、公文病院の治療費及び文書料として八〇万七一五六円を負担したことが認められる。
(三) 信原病院分
甲四の1ないし35、甲一四の1ないし35、甲三五の1ないし6によれば、原告は信原病院の治療費及び文書料として七四万二三〇〇円を負担したことが認められる。
(四) 新須磨病院分
甲三の1ないし119、一三の1ないし6、8ないし33、乙二四の13によれば、原告は新須磨病院の治療費及び文書料として八万〇三一〇円を負担したことが認められる。
(五) 神戸市立中央市民病院分
甲一七の1ないし32、三七の1ないし12、14ないし17、19ないし37、三八の3、7、乙二四の22、二七、二九、三一及び弁論の全趣旨によれば、原告は神戸市立中央市民病院産婦人科及び歯科の治療費及び文書料等として四七万二五二三円を負担したことが認められる。
ところで、右金額の内金二六万三九六〇円については、第二事故後の歯科の入院治療費及び文書料であるところ、前述のとおり、第二事故後の顎関節症の治療についてはその三割が本件事故と因果関係を有するところ、二六万三九六〇円の三割に相当する金額は七万九一八八円である。
したがって、神戸市立中央市民病院分の治療費については、二八万七七五一円が本件事故と相当因果関係を有する。
なお、甲三八の1、2、4ないし6、8ないし18については、その具体的な費目も明らかとはいえず、本件事故との相当因果関係のある損害とは認められない。
(六) 梅ヶ香薬局
乙二四の2、4、6、7、10、13、14、17、19ないし21、23、25及び弁論の全趣旨によれば、原告は梅ヶ香薬局の調剤料として七万四八四一円を負担したことが認められる。
(七) なぎさ調剤薬局
甲一三の7、34及び弁論の全趣旨によれば、原告はなぎさ調剤薬局の調剤料として一一二〇円を負担したことが認められる。
(八) その他
原告が新長田眼科(甲二の1ないし18、一二の1ないし4)及び神戸大学医学部附属病院眼科及び神緑薬局(甲一八の1ないし6、三六の1ないし20)に支払った治療費については、前述のとおり、原告の視力低下・両調節力障害と本件事故との間に相当因果関係は認められないから、本件事故による損害とは認められない。
また、セキ鍼灸院(甲一六の1ないし7)についても、本件全証拠によるも、本件事故との相当因果関係を認めるに足りない。
2 入院雑費 二一万〇七三〇円
前記第二の二争いのない事実等3のとおり、原告は、本件事故による受傷の治療のため、平成四年三月四日から同月一六日までの一三日間井上外科病院に、平成四年四月一六日から同年五月一六日まで及び平成五年四月一九日から同年五月三一日までの七四日間公文病院に、平成五年一二月二一日から平成六年二月二三日までの六五日間信原病院に、平成九年四月二日から同月三日まで及び平成一一年四月二六日から同月二八日までの五日間神戸市立中央市民病院産婦人科に、それぞれ入院した(入院日数合計一五七日)が、この間の入院雑費は、一日当たり一三〇〇円と認めるのが相当であり、その合計は二〇万四一〇〇円となる。
また、原告は、平成一〇年七月六日から同月二二日までの一七日間神戸市立中央市民病院歯科に入院したが、前述のとおり、右治療と本件事故とは三割の因果関係を有するところ、右期間の一日当たり一三〇〇円の割合による入院雑費合計二万二一〇〇円の三割に当たる金額は六六三〇円である。
したがって、右の合計である二一万〇七三〇円が本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。
3 通院交通費 六二万七〇八八円
(一) 公文病院分
原告は、平成四年三月一四日から平成五年一〇月二六日までに、公文病院に一二二日実通院したが、このうち、平成四年一〇月以降の通院は七三日である(乙二六の1)ところ、弁論の全趣旨によれば、原告が右通院に要した交通費は通院一日当たり四〇〇円と認められるから、その合計は二万九二〇〇円となる。
(二) 信原病院分
前記第二の二争いのない事実等3のとおり、原告は、平成五年一〇月二五日から平成九年一〇月一七日までに信原病院に九一日実通院したが、甲二八及び弁論の全趣旨によれば、原告が右通院に要した交通費は通院一日当たり三三二〇円とするのが相当であるから、その合計は三〇万二一二〇円となる。
なお、原告は、相生駅から信原病院までは、バスによる方法もあるが、その運行本数が少ない(約一時間に一本)ため、タクシーを利用したとしてタクシー代相当額を請求するが、原告の受傷部位に照らして、右のみでタクシーの利用が相当とはいえない。
(三) 新須磨病院分
前記第二の二争いのない事実等3のとおり、原告は、平成四年九月一四日及び平成六年二月二五日から平成八年一〇月二日までに、新須磨病院に一九九日実通院したが、弁論の全趣旨によれば、原告が右通院に要した交通費は通院一日当たり八〇〇円と認められるから、その合計は一五万九二〇〇円となる。
(四) 神戸市立中央市民病院分
原告は、平成四年七月二一日から平成一一年九月三〇日(症状固定日)までに、神戸市立中央市民病院歯科に一二一日実通院し(右通院日数の内、第二事故の日である平成九年一一月二八日以降の通院日数は五〇日である。)、平成六年七月二五日から平成一一年一〇月二五日までに、同病院産婦人科に七九日実通院したところ、右通院のうち、平成九年一一月二八日までの間の通院日の重複は五日であり、右以降の通院日の重複は四日である(前記第二の二争いのない事実等3、乙二七、二九、三一)。
そして、甲二八及び弁論の全趣旨によれば、原告が右通院に要した交通費は通院一日当たり八六〇円と認められるところ、平成九年一一月二八日以降の歯科への通院交通費の三割が本件事故と相当因果関係のある損害と認められるから、その合計は以下の計算式のとおり一三万六五六八円となる。
(計算式)
860×(79+71-5)+860×(50-4)×0.3=136,568
4 通院雑費
原告は、通院雑費として、一日当たり一〇〇〇円の割合による金員を請求するが、通院につき、一般に、その治療費及び交通費以外に費用を要するとはいえず、さらに、本件全証拠によるも、通院につき、原告に、通院治療費及び交通費以外の損害が生じたと認めるに足りない。
よって、原告主張の通院雑費は認められない。
5 逸失利益(休業損害・後遺障害逸失利益) 二〇二六万二八六七円
(一) 原告の基礎収入(年収)について
原告本人(第一回)によれば、原告の本件事故当時の職業はピアノ講師であるところ、本件事故当時の原告の生徒数は約七〇名であったが、平成三年末ころに、退職する他の講師の生徒を担当するようになったため、生徒数が急増した(右以前の生徒数は三〇名程度であった。)というのであるから、本件事故当時の生徒数のみを基準に原告の収入を算定するのは相当ではなく、さらに、原告は、ピアノ教師としての収入について、一切税務申告を行っていなかったことなどに鑑みれば、原告の休業損害算定の基礎とすべき年収額については、賃金センサス平成四年産業計・企業規模計・学歴計・高専・短大卒・二五歳から二九歳女子労働者の平均収入である三四五万五七〇〇円とみるのが相当である。
(二) 休業損害
原告の受傷部位・程度、前記二1の原告の治療経過、各病院への入通院状況、原告の職業等を総合勘案すると、本件事故から平成六年一二月三一日までは労働能力を一〇〇パーセント喪失し(信原病院で平成五年一二月二二日に右肘の手術を受け、同病院を平成六年二月二三日に退院後、平成六年一二月までの新須磨病院への通院頻度が高いことを特に勘案した。)、それから平成九年一〇月三一日(頸部捻挫、頸椎不安定症及び右尺骨神経麻痺の症状固定日)までは、平均して、労働能力を五〇パーセント喪失したと認めるのが相当である。
そうすると、原告の休業損害は、次の計算式のとおり一四六六万七〇五二円(円未満切捨て)となる。
(計算式)
3,455,700÷366×303+3,455,700×2=9,772,266
3,455,700×0.5×2+3,455,700÷365×304×0.5=4,894,786
9,772,266+4,894,786=14,667,052
(三) 後遺障害逸失利益
前記二3のとおり、原告の頸部捻挫、頸椎不安定症及び右尺骨神経麻痺については平成九年一〇月三一日ころ、顎関節症については平成一一年九月三〇日ころ、月経異常及び無排卵症については平成一一年一〇月三一日ころ症状固定したと認められるが、右のうち、顎関節症並びに月経異常及び無排卵症については、これにより、原告の労働能力が喪失したとは認められない。
頸部捻挫、頸椎不安定症及び右尺骨神経麻痺については、その症状固定後も、肩の凝り、右腕の痛み、しびれ感、握力低下の症状が残ったものと認められるところ(甲四一、乙二六の2ないし4、原告本人(第一回、第二回))、右後遺障害の部位、程度、一四級一〇号の認定を受けたこと(乙二三)に職業、性別、年齢等を勘案すると、原告は、右後遺障害により、症状固定時の年齢である三三歳から三四年間に渡りその労働能力を一〇パーセント喪失したものと認めるのが相当である。
そこで、中間利息をライプニッツ方式により控除して本件事故時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり五五九万五八一五円(円未満切捨て)となる。
(計算式)
3,455,700×0.1×16.193(34年のライプニッツ係数)=5,595,815
6 慰謝料 一〇〇〇万円
本件事故の態様、原告の受傷内容及び程度、入通院治療の実態、後遺障害の内容及び程度(原告は従前の職業であったピアノ講師への復職が非常に困難であること、原告には月経異常及び無排卵症の各症状が残存していることを特に考慮するとともに、他方、右各症状は本件事故による受傷が契機となって発現したものとはいえ、その発症の機序は必ずしも明らかではない上、その症状の発症及び発現には原告の心因的要因が少なからず影響しているものと考えられることをも勘案した。)その他本件審理に顕れた一切の事情を考慮すると、原告の本件事故による慰謝料としては、一〇〇〇万円と認めるのが相当である。
7 小計
右1ないし3、5、6によれば、本件事故による原告の損害は合計三三一〇万九六一三円となる。
8 損益相殺
乙二四の1ないし25によれば、被告が、原告の本件交通事故による損害について、井上外科病院に一万〇三〇〇円、医療法人楠和会(公文病院分)に七七万七九三六円、神戸市(神戸市立中央市民病院分)に一万〇二二〇円、医療法人慈恵会(新須磨病院分)に一万四五七〇円、梅ヶ香薬局に七万四八四一円、原告に二二五万〇六八二円の各支払をしたことが認められる。
したがって、右の合計三一三万八五四九円について損益相殺すべきである(なお、原告は、被告から受領した二二五万〇六八二円については、本訴で請求していない交通費・診療費等に充当したと主張するが、その具体的充当関係は明らかではなく、また、原告本人(第一回)によれば、被告が原告に対してした支払は、休業損害の填補の意味を有していたものと認められる。)。
そして、原告の損害額三三一〇万九六一三円から既払金三一三万八五四九円を控除すると二九九七万一〇六四円となる。
9 弁護士費用
本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額その他本件に顕れた諸般の事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、二〇〇万円と認めるのが相当である。
10 まとめ
以上のとおり、原告は、被告に対し、三一九七万一〇六四円の損害賠償請求権を有する。
四 争点4(求償権の存否)について
前記一認定のとおり、原告には本件事故の発生につき過失は認められないから、原告が被告に対し、民法七〇九条に基づき損害賠償義務を負うことはない。
五 結論
以上の次第で、原告の被告に対する甲事件請求は、三一九七万一〇六四円及びこれに対する本件事故の発生日である平成四年三月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから右の限度で認容し、その余の請求及び乙事件原告の原告に対する乙事件請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 島田清次郎 片岡勝行 柵木澄子)